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2011年02月08日
連合赤軍 永田洋子死亡に思う
2月7日(月)の読売新聞に「連合赤軍 永田死刑囚死亡」の
記事が掲載されていました。連合赤軍事件の主犯で、元最高幹部の
永田洋子死刑囚が東京小菅の東京拘置所で多臓器不全のため、65歳で
死亡したという内容でした。
私は高校3年の時、必修クラブで「時事研究クラブ」というのに入っていて
(木崎出身の元To Be Continueの岡田君も同じクラブでしたが・・・)
群馬の事件ということで、この「連合赤軍事件」と「大久保清事件」を
研究していました。その時、実は永田洋子が「ようこ」ではなく「ひろこ」だと
知りました。色々調べていく中で「連合赤軍」が東京から日帰りできて、隠れる所に
恵まれているので群馬をアジトにした事、永田死刑囚があの「大久保清事件」の
記事をファイルして持っていた事を知りました。
(大久保清は遺体を田んぼの中に穴を掘ってうめたりした)永田死刑囚もいずれ
総括という名の下に殺した遺体の事を考えて「大久保事件」に興味をもったのか
真意のほどは分かりませんが、当時、二つの事件が興味深いところでリンクしていた
ことに驚いた記憶がこの「永田死刑囚死亡」の記事で蘇りました。